古泉一樹。
二十七歳、独身。
妙に鋭いところがあるのに、肝心なところであいつは鈍い。
俺の気持ちになんか、これっぽっちも気付いちゃいないんだ。
俺からあいつに想いを伝える、なんて、柄じゃない。
十年もの付き合いになるのに、あいつは理解してないんだ。
毎日毎日、俺は嫉妬してばっかりで。
でも、あいつは気付かない。
初めは別に、気付かれないでいいと思った。
そっちの方が俺が恥ずかしくないからな。
―――――馬鹿野郎、
何で、気付かない。
俺はお前に近付く全てのものに嫉妬しているくらい、お前が好きなのに。
なのに、どうして。
電源を切ったままだった携帯を握り締めて、俺は眠った。
木曜日の、ことだった。
もう四日も携帯の電源を入れず、過ごしている。
置き電話はなく、連絡手段は手持ちのそれだけだというのに。
だから、古泉とは話していない。
月曜日の朝、目が覚めたらもう古泉は出て行った後で。
今日は、金曜日。
「先生、何か元気ないね?」
「ん、あー眠いんだ。昨日夜更かししちまってな。」
まだ学生気分かよいい歳して!と生徒が笑いながら廊下を歩いて云った。
俺、そんなに顔に出てるか?
初めは良かったんだ。
ちょっとしたイタズラに対する報いとして、連絡をわざと怠った。
でも、もし。
朝になって携帯を握ったまま、考えた。
もしも、ひとつとして連絡が入ってなかったら?
俺のことを、気にかけてなかったら?
常に付きまとっていた不安が、一気に押し寄せたような気がした。
「ばか、やろう。」
馬鹿は俺だ。
古泉はそう言って怒るだろうか。
心配、してくれているだろうか。
放課後の学校はしんと静まり返っている。
夕陽の射し込む教室。
ばらばらに並んでいる机、持ち主が置きっぱなしにしている教科書。
遠くから聞える、部活終了の声。
国語科準備室に戻り、ぎしぎしと音のする椅子に座ってため息ひとつ。
「こいずみの、ばーか。」
俺は机に突っ伏したまま、画面も見ずに携帯の電源を入れた。
―――――、
「うおわっ!」
電源が入るのとほぼ同時に鳴り響いたのは着信メロディ。
『お久し振りです、キョンくん。』
約五日ぶりの、古泉の声だった。
「……何だよ、もう着いたのか?」
上擦ってしまいそうな声を何とか押し殺して、普段と同じように振舞う。
古泉は、音信不通だったことについて、触れない。
『いいえ、まだですよ。実はあなたに言いたいことがありまして。』
こつ、こつ、
コンクリートだろうか?リノリウムかも知れない。
電話の向こう側から聞える、足音。
「何だ?」
帰ってきてからじゃ、駄目なのだろうか。
古泉が、向こう側で少し、息を吸う音がした。
『結婚、して下さい。』
「え、」
今、こいつは、何て、言った?
『愛してます、これからも愛し続けます。だから、結婚して下さい。』
柔らかに笑う気配。
俺は、こいつの表情が容易に想像できるぞ。
でも、だな。
「お前さ、そーゆーのって、何で……っ、ああもうふざけんなよ。」
そういうのは、目の前で、言ってくれるもんだろ?
乙女思考とか、そんなの関係ない。
俺は、ただ、
「『ふざけてなんて、いませんよ。』」
こつん、
足音が止まって、声が、二重に聞えて。
今まで背を向けていた扉の方を見れば、そこには携帯を耳に当てている古泉の姿。
―――――どうして、
「愛してるんです。誰よりも愛おしい。だから、結婚しましょう?」
「お前、何で、」
だって今まで電話で話してたじゃないか。
まだ着いてないって、言ってたじゃないか。
「もういいかげん、僕だけのものになって下さいよ。」
がしゃん、と音を立てて落ちたのはどちらの携帯だったのだろう。
結婚、とか。
そんなの、今の法律では無理だし、そもそも……。
「指輪をね、買ってきたんです。書類上の結びつきなんてどうでもいい。
あなたが、いてくれるなら、ね?………結婚、して下さいませんか?」
言いたいことはたくさんあるし、話し合いだって必要で。
今まで俺が感じていた気持ちを、全部、話さなければ。
でも、その前に。
「―――――遅いんだよ、馬鹿。」
少しぐらい、素直になれなくったって構わないだろ?
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音信不通については帰ってから怒られました。
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