熾天至聖







がしゃん、

何かが割れる音が響く。


貫かれたのはマリア様の頭。
粉々に砕けた色彩鮮やかなガラスが赤い絨毯の上に散らばる。

燭台が倒れて蝋燭が消え、目前の世界の光は消えた。


「―――――!」


叫んだはずの声は、誰にも届かない。
俺の耳にすらも。


「―――――っ!!」


駄目だ、俺は。
俺はここで消えるわけには、いかない。

足を踏み出せば靴底が割れて砕けたガラスを更に砕く。
ざりざりと音を立てる足元だけが、俺の耳に届く音。


誰か、誰か。
これは夢だと、言って欲しい。


『ヨセフさま、ヨセフさま。』


澄んだ声が響く。


『マリアさまを、守って。』

『女に生まれてしまったクリストフ。』

『きっと、あなたでも。』


目前の暗闇が、一気に晴れた。


「キョンくん。」

「………朝比奈、さん?」


これは夢?
本当にただの夢?
いつもならば夢だと、これは夢だと理解出来るのに。


未来から来た、朝比奈さん。
大人びた表情の彼女は急に顔を歪めて涙を零し始めた。


「すみません、すみません。……お母さんと、呼ばせて。」

「え、」


俺よりも背の低い、小さな体。
子供のように俺の胸に縋り付いて彼女は泣いた。


「お母さん、お母さん。……ごめんなさい、あたしのマリアさま。
クリストフになれなくて、ごめんなさい、」


ふわり、百合の匂いが届く。


「だから、あの子には、」





ぷつ、
夢は、消えた。










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目覚めたら目前には一樹とみくるの姿があって。


「どうしたんだ、二人揃って。」

「どうした、じゃないですよ!僕たちがどれだけ心配したかと……っ!」


泣きそうに顔を歪める一樹の隣で、みくるがぼろぼろと涙を零している。
何故か夢の中の彼女を重なって。

そして、唐突に理解した。


「お母さん、」

「………そうか、…ありがとう、みくる。……一樹。」


真っ白なベッドはひどく懐かしい香りがする。
みくるを授かったあの日の、みくるがこの世に産まれたあの日の、懐かしい香り。

薄緑色のカーテンが風にはためく。


俺の中の記憶は飛んでしまっているけれど、きっと何かが起こったのだろう。
知らないということは、知らなくていいということ。



俺は二人に、助けられた。


「ありがとう。」


右手に握られたままだったお守りは、もう十年も前に朝比奈さんに頂いたもの。

これが渡せなかった未来を、朝比奈さんは知っている。
渡せなかった未来を、彼女は歩んでいる。

彼女の母は。
俺は、夫と娘を残してひとり。
どうして、置いていってしまうことになったのだろう。

愛している、のに。
どれだけの悲しみを、彼女は越えて来たのだろう。



俺が高校生の時、彼女が「久し振り」だと言ったのは。
夢の中で俺を母と呼び、泣いたのは。


「ありがとう、俺のヨセフさま、クリストフ。」


誇って、どうか。
お前達は俺を救ってくれた。


「助けるのは当たり前なんだから、」

「そうですよ、義務と言っても構わないくらいです。」


みくるが、「あたしたちの」と言って言葉を止めた。
一樹が、「僕たちの」と言って言葉を止めた。

先の言葉はもうきっと知っている。



それでも、


「「マリアさま。」」


それでも、溢れ出す涙は、止まらない。








愛してる、この世界を。
愛してる、二人がいる世界を。
愛してる、俺がここにいる、この、世界を。



きっとずっと、幸せに生きて行こう。











多分もう、夢は見ないから。




















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事件本編を書く予定はありません。
想像にお任せしたいと思います(笑)









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