インペラトル


「Buona sera, signore.」


耳に届いたのは知っている人の聞き慣れない声。
どうして来たのだと叫んで問い詰めたかったけれど、塞がれた口から零れるのは情けなくもくぐもった声だけで。


「僕の部下を、返していただきましょうか。」


銃声が、ひとつ。
正面からの足音もまた、ひとつだけで。

ああ馬鹿野郎、どうして俺のために、たった一人で。


「トップ自らのお出ましか。よっぽど大切な奴らしいな、この拷問狂は!」


腹部を蹴り上げられ、喉の奥が引き攣れた音を上げた。
血の味がする口内に舌を這わせ、吐き出しそうになった胃液を押し込める。


古泉の、低い声がした。


「彼を、返して下さいませんか?」


ぶわ、と背筋を駆け抜けたのはおぞましい程の殺気。
その殺気を心地良く感じるのはきっと、古泉のものだから。

俺の、唯一の人の、ものだから。


俺は縄を解こうと突っ張っていた手を緩め、逃げることを放棄した。
目隠しをされていても分かる、大丈夫だ、と。
俺を助けに来たあいつが、負けるわけがないんだ。

自惚れだって分かってる、けど、信じたって構わないだろ?


ぶつ、


後ろでに縛られていた縄が解け、俺は自分で目隠しを外した。
暗く広い部屋、響く銃声、一人対数十名。

俺の縄を解いてくれた男は俺に向かってウインクを投げた。


「大丈夫か、キョン。」

「ああ、」


外から射し込む月光を背に立つ古泉は返り血に塗れ、それでも傷一つなく銃を乱射している。


「ほら、銃取り返してやったぞ。私も参加する、三人しかいないからな、存分に暴れろ。」

「勿論。」


躊躇いもなく向けた銃から撃ち出された弾丸は、真っ直ぐに一人の男の頭を貫いた。
さあ、反撃開始、だ。

折られた左腕と肋骨が痛み、足の火傷に冷えた空気が沁みる。


思わず崩れ落ちた俺の体を支えたのは、誰でもない、俺の。



―――――俺の、



「お帰りなさい、僕のサンクチュアリ。」

「…………ただいま。」













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「嫌になるわね。ボスの恋人はあたしじゃなくてあんたなのに。」

「仕方ないだろ、ボスに一番近い女はお前だけなんだから。」


ファミリーの人数を正確には把握していないが、その中で女性は十数名。
更に幹部ともなると彼女一人だけだ。
俺よりも八つ年上の、姉のように慕っている、彼女一人だけ。

もう一人の女幹部はファミリーを裏切ったから、俺が殺した。


「あんた、もう少し自分のことを大事にした方がいいわ。」

「ハルヒ?」


真っ白な病室、閉じられた扉が、横にスライドした。


「今、どんな顔してるか分かる?ひどい顔。ねえ、愛してるって言葉の意味、あんたはまだ分かってないの?
―――――ねえボス、あたしは帰るわ。明日、連絡頂戴。」

「了解しましたよ、お姫様。」


頬に絆創膏を貼り付けたボスが、ふわりと笑った。
扉が、閉まった。

『愛してる』の、意味。
そんなの、知ってる。
俺はいつだって、ボスを、古泉を愛してる。

言えないから裏で人を殺すんだ。


人を殺すことこそが、愛の証、……間違ってないだろう?


「ごめんなさい、あなたを…守れなかった。」

「泣くなよ、ボス。俺は生きてるんだ、守れてるじゃねえか。」


そりゃあ全治一ヶ月って言われたけどさ。
拷問ってそんなに体力いらねえから、明日にでも復帰できるわけだし。


「あなたには、美しく気高くあって欲しいんです。あなたの体に痛みなんて、いらない。」


古泉は今にも泣きそうな表情で俺を強く抱きしめた。
度々聞える小さな嗚咽は聞きなれた声よりも少し幼くて情けなくて。
低く殺気のこもったあの声はもう、聞きたくない。


……こんな感情、俺は、知らない。


「なあ、お前が俺のために人を殺すこと、ないんだよな?だって、苦しいんだ。お前が直接手を下すことなんてない、お前は、お前は。
―――――これが、人を愛することって、言うのか?愛って、こんなに苦しいのか?」


ハルヒは、俺は『愛』を知らないと言った。
愛?愛って何だ?


「そうですよ、人を愛することは苦しいことなんです。
僕も、ずっと心が痛い。でも、その苦しみの何倍も幸せだから、いいんです。」

「俺はボスが、違う、古泉が、好きなんだ。だから人を殺す。…これは、愛じゃないのか?」


そう信じてきた、人を殺すことに躊躇いなんてなかった。
古泉が傷付かないなら、それでいいって。


「それも愛です。でも、僕が言いたいのはそういうことじゃない。
愛する人には綺麗でいて欲しいんです、穢れないで美しいままでいて欲しいんです。」

「……本当の、愛は、それ?」

「はい、少なくとも僕はそうだって信じてます。
愛する人のために自分が傷付くことは美しいことですが、同時に愛する人を傷付ける原因にもなるんですよ。」


心が、傷付くのだと。
じゃあ古泉の心を傷付けてきたのは、俺?

ずっとずっと、何も知らずに。


「古泉、愛してる。……好きじゃないんだ、愛してる、やっと、分かった…っ!」

「はい、僕も、愛してます。…愛してますよ、誰よりも美しい、僕の。」


でも、ごめんな。
俺はやっと、愛してるって言葉を知ったよ。
だからって、人を殺すことを、止められはしないんだ。

きっと俺はじわじわと脳内を犯されてる。


完全に、依存してるから。


「古泉、」


ごめんな、俺はまだ、お前のための、拷問狂。
次に愛してるって囁くのは俺の全てを、清めてから。



「愛してる。」








これがきっと、最後。













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それでも、愛している。









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