イクモフォビア
手が震える。
親に見つからないようにそれを隠し、ごちそうさまと呟いてリビングを出た。
食事はまだ終わってないけれど、心配されるわけにはいかないから。
古泉にバレてから一ヶ月、俺のこの症状が出始めてからすでに二ヶ月が経った。
俺の病状は悪化する一方で。
先端恐怖症、と呼ばれる病気だと知ったのはいつだっただろう。
精神科に行ったところで、すぐに治るわけがないのならば。
刃物は勿論、最近は鉛筆を見ることすら恐ろしくて。
ベッドに潜り込み、携帯を握り締めて震えが止まるのを待った。
毎日、毎日。
学校では保健室に向かうことが多くなった。
と、言っても一週間に二回程度だ。
相変わらず俺も古泉もハルヒに振り回されっぱなしで。
ぎゅ、と握り締めた携帯が振動を始めた。
「は、はい!」
『キョンくん、大丈夫ですか?また怖いものでも見ましたか?』
電話越しに聞える、優しい声。
「大丈夫……大丈夫、だ。お前は?」
『大丈夫ですよ、安心して下さい。』
―――――怖い。
古泉の声が、少しだけ強張った。
ああ、今日も。
今日もまた、閉鎖空間が発生したんだな。
「そっか、よかった。」
毎日のように起こる閉鎖空間。
古泉はいつも、何も起こっていないと嘘をつく。
俺を、安心させるために。
ごめん、古泉、ごめん。
でもお前がいなければ俺は、一歩も外から出られなくなっていたかも知れない。
俺がちゃんと学校に行けるのは、古泉からの電話のおかげなんだ。
なあ、俺は。
……俺はお前を、守れてる?
世界の改変から、守れてるのか?
怖いんだ、すごく。
明日もまた、ハルヒの前で自分を作らなければ。
今日よりも、完璧に。
大丈夫、俺には古泉が、いるから。
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「あんた、自分がどんなにひどい顔してるか分かってるの!?」
ハルヒの叫びが、俺の頭の中を通過していく。
感覚はなかった。
うるさいとも、感じなかった。
俺の後ろで古泉が驚いている気配がして。
でも、携帯は鳴っていないから閉鎖空間は発生していないらしい。
ハルヒの大きな瞳から、ぼろぼろと涙が零れ落ちた。
「あたしでも分かるわ。あんたの様子がおかしかったことぐらい。
ねえ、どうしたのよ。古泉くんと何かあったわけじゃないでしょ?
何があんたをそこまで追い詰めてるのよ!」
その答えは、誰も、知らない。
ハルヒは泣きながら言葉を続ける。
「あたしに遠慮してるの?あたしが偏見を持つと思ってるの?馬鹿にしないでよ!」
指先が俺に迫ってきて、咄嗟に目を閉じた。
ふわり、と、暖かな手が俺の両頬を包み込んで。
俺や古泉とは違う、女の子の小さな小さな手。
「あんたが、あんたたちが付き合ってるの、あたしに隠すのはどうして?
それがあんたを苦しめてるの?だったら心配なんてするんじゃいわよ。
幸せになりなさいよ、悩みなんて捨てなさいよ。
団長が認めてるのよ、病院にでも行ってさっさと治してきなさいよね!」
ハルヒはカバンを引っつかみ、最後に俺を馬鹿だ、と罵って部室から走り去った。
「こ、いずみ。」
俺は、夢を見ているのだろうか。
「僕の家、泊まってくれて構いませんから。だから、病院に通いましょう?」
一番思いつめていたものが解決したんです、すぐに治りますよ。
と、そう言って笑った古泉のブレザーに顔を埋めて、泣いた。
悲しいんじゃない、嬉しいわけでもない。
でも限りなく『幸せ』に近い感情。
「明日ハルヒにお礼言わなきゃ、だな。」
「そうですね。」
今はまだ、尖ったものが怖くないといえば嘘になるだろうけれど。
いつか、きっと。
「今日からきっと閉鎖空間は発生しなくなるな。」
「………知ってた、んですか。」
俺を侮るなよ。
握り締めた手を解いて、笑いかけた。
久し振りに心から、笑った気がした。
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ありがとう。
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