ファム・ファタル


長門さんの机の上に湯飲みを置いて、あたしは自分のいつも座る席に腰を下ろした。
キョンくんがあたしの注いだお茶を、ゆっくりと啜っている。


「おいしい、ですよ。」


ああ駄目、あたしにそんなことを、言っちゃ駄目。


「ありがとう、キョンくん。」


あたしは彼に笑いかけたけど、キョンくんは笑ってはくれなかった。
でもきっと、本人は笑ったつもり。


「キョン。」


涼宮さんがパソコンを強制終了して、椅子から立ち上がった。
前みたいにがしゃん、と音を立てることもなく、静かに。


「こっち来なさい。」

「ん、ああ。」


キョンくんはチェスの駒を一度机の上に置いて、古泉くんに目配せした。
そのときの表情だけは、ひどく優しい、笑顔。

古泉くんはキョンくんに、構いませんよと視線を送る。
申し訳なさそうにキョンくんは笑って涼宮さんに連れて行かれた。



扉が、閉まった。








―――――がんっ



鈍い音が響く。


『前に言ったわよね、キョン。どうして守れないの?あたしは団長で、団長命令は絶対なのに!』



―――――がんっ



『ごめ、ん。ごめん、ハルヒ、もう、しない。』

『前も、その前も、前の前の前もそう言ったじゃない!いつになったら守るのよ!!』


部室棟にいるのはあたしたちだけ。
だから、この騒ぎはあたしたち以外には聞こえない。



―――――がんっ



「どうして、」


あたしは我慢できなかった。
本当は口出ししちゃいけないのに、分かってたのに。


「どうして古泉くんは、涼宮さんを止めないんですか?」


いつからか、涼宮さんは壊れてしまった。
キョンくんが他の人と親しげにしてるだけで彼を殴り、笑いかけるだけで彼を蹴った。
キョンくんの体は、いつ見ても傷だらけで。

それでも古泉くんは止めない。
あたしが止めに入ったらきっともっとひどくなることを知っていて、だからあたしが止められないことを知っていて。


古泉くんは、止めに入らずただ見ているだけ。


「どうして…っ!」



―――――がんっ



頭を壁に打ちつけられている音がする。

明日は、バットで足を殴打だろうか、それともお腹を何度も蹴られるのだろうか。



キョンくんは、その所為で表情を失ってしまったのに。


「止められませんよ。」

「どうして!」


古泉くんはキョンくんのことを話すとき、本当に幸せそうに口を開く。
今、キョンくんが外で涼宮さんに殴られているのに、笑顔で。


「涼宮さんに暴行を受けた後の彼が、一番可愛いんです。
僕だけを頼ってくれる……僕にだけ、笑顔を向けてくれる。止めに入れるわけ、ないじゃないですか。」



―――――がんっ



あたしは、何も言えなかった。
どうして、どうしてこの人たちは。

長門さんを見て助けを求めてみたけれど、彼女は本に夢中。
ううん、本当は本なんて読んでない。

でも、彼女はずっと傍観している。



ただの、傍観者。


「……こんなの、ひどすぎます。」


古泉くんはにこにこと笑っていた。

涼宮さんが部室に戻ってきて、パソコンの電源を入れた。
彼女は少しだけ、笑っていた。


「ゲームの続き、始めるか?」

「はい、そうしましょう。」


キョンくんは額からだらだらと血を流しながら白いチェスの駒を握る。
一度手で拭ったのか、血のついた手が、白い駒を赤く染めた。


『大丈夫ですか、痛くないんですか?』


そう言いたいのに、あたしには、言えない。
だから湯飲みにお茶を注いで、置く。

お願いキョンくん、あたしを無視して。

涼宮さんは、キョンくんがあたしに話しかけると、キョンくんを殴る。
あたしがキョンくんに話しかけても、同じ。

キョンくんが古泉くんの家に泊まりに行った次の日も、ひどい。



二人の関係を、知っているから。


「みくるちゃん、お茶おかわり。」

「あ、はいはい。」


あたしは出来るだけ普通を装って、明るく振舞う。
昔のSOS団に戻れるように、願いを込めて。


でも、それも少し、疲れてきた。


「あたしさ、何か最近ダルいのよね。…風邪かしら?」

「体は大事にして下さいね。」

「ありがと、みくるちゃん。」


メイド服のポケットに忍ばせたのは白い粉。
お茶の中に、毎日、少しずつ混ぜて。


「今日は解散!」


ふらふらと覚束無い足取りで涼宮さんは帰って行った。



これでキョンくんも少しは安心して過ごせるかも知れない。
前のように笑って過ごせるかも知れない。












本を閉じた長門さんの瞳が、揺らいだような気がした。













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みんな壊れてる。









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