蝶の花歌留多


広い部屋に、天蓋付きのベッド。
歩けるほどに大きなクローゼットの中には、和洋様々な服が並んでいる。

外には綺麗な薔薇の庭園があって、更にその向こうには真っ青な海が広がっていた。

運ばれて来た食事は豪華すぎて、食べきった覚えがない。


こんな生活、生まれて初めてで。
もう三ヶ月も経つのに、慣れる気配すらない。

みんな、どうしてるかな。
ため息を零し、そして止めた。

ああ、またひとつ幸せが蝶々のように逃げていった。


物心付いたときにはもう周りに血縁はいなくて、七歳になった頃には自分が売られたのだということを知っていた。



男娼館。
それが、俺のいた店。
そこが、俺の世界だった。

初めの痛みはすぐに消えて、嫌悪感は失せて。
これが運命なら、受け入れればいいと。

十二になって初めて店に上がり、三年。
気付けば俺は太夫にまで上り詰めていて、我ながら何をやっているんだろうと思った。

でも、それなりに幸せだったんじゃないかとも思う。
女将さんは優しかったし、番台さんも楽しくて素敵な人だった。

食事も寝床もあるし、少しならば外を出歩くことも出来た。
俺と同じ男娼たちも友好的なやつらばっかりで。


抱かれてお金をもらいながら、それでも結構幸せに過ごしてきた。


「あんたに、お身請けの話が来てるわ。とても断れないくらい、偉い人から。」


女将さんは何度もごめんなさいと謝りながら、泣いていた。

顔も知らない、どこぞの社長様。
その次の日、盛大に見送られた俺は、この美しい屋敷に連れて来られた。

迎えは最近外国から入って来たと言われている車(初めて見た)。
運転手と、執事だけの車に乗せられてやって来た屋敷で、不自由ない生活。

執事は話しかけてこない、メイドは俺にほんの少しのことを聞くばかり。


変わり者の主人は、姿を見せない。
写真もないし、外見を聞いたこともない。


彼は、俺の何を気に入ったのだろう。



黒のスラックスに白いシャツ、赤いきらびやかな着物を緩く羽織って裸足で赤絨毯を踏み締める。
図書室があると聞いたから、今日はそこに向かってみようと思う。

ぱたぱた、と走る音が後ろから聞こえた。


「響さま、御御足が汚れてしまわれますよ。」


ひびき。
俺の源氏名で、嘘偽りの名前でもあり、女将さんに貰った大切な名前。

久し振りに聞いた、渾名じゃない、名前。


走ってきたのは執事の格好をしたひとりの男。
柔らかな紅茶色の髪に、美しい造形、優しげな瞳が俺の足を見つめる。


「ええと、図書室にご用事ですか?」

「あ、はい。本を読もうと……。」


そうですか、と笑って男は俺の体を持ち上げた。


「ちょ、まっ!」

「すみません、御召し物を探すより都合がいいと思いまして。」


お嫌でしたか、と聞かれて首を横に何度も振った。


「でも、重いかと…。」

「充分軽いですから、遠慮なさらないで下さい。もうひとり、抱えあげられる程ですよ。」


結局俺は彼に逆らうことも出来ず、他愛のない話をしながら本を物色した。
意外と話が合って、久し振りに長々と会話をしたような気がする。


「僕のことは一樹、とお呼び下さい響様。」

「あ、はい。」


あと、敬語もいりませんよと言われ、俺は苦笑を返した。
次に会うことがあれば、そうしよう。


「社長様も、あんな人だったらいいんだがな。」


胸の奥が暖かくて、幸せで。
自然と、理解した。





―――――これが、恋。





彼は執事だし、きっと俺みたいに汚れた男になんか興味ないだろう。
だから、叶わないけれど、それでも構わない。

俺は、初めて恋を知って、失恋も同時に知った。







新しい感情を知った俺は、それだけで幸せなのだから。










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黒の布に赤い蝶々が舞って、金の鱗粉を鮮やかに広げる、美しい模様の着物。
銀の帯に、きらきらと光る髪飾りひとつ。
目尻と口元には赤い紅。

今日の予定は、初めてお目にかかる、社長様との食事会。


こん、とノックの音がして、答えずに本を読んでいればドアノブが回った。


「夫を放って本に没頭とは、ひどいですね。」


黒いブーツ、灰色のスラックスの裾。
優しい、優しい声。

ゆるゆると顔を上げたら、そこには想像した通りの人がいた。


「一樹、なん、で…?」

「黙っていてごめんなさい、僕があなたをお身請けした、古泉一樹です。
身分も何も関係なく、一度あなたに会っておきたくてあのように話しかけさせていただきました。」


とく、と鼓動の音が大きく響いて。
本が膝の上から滑り落ちてこつんと音を立て、頁を閉じた。


「一目惚れだったんです。店先であなたを見かけて、すぐ女将さんと交渉しました。
あなたの意思を無視する結果になって、本当に申し訳ないと思っています。
あなたが僕を恨んでいるというのなら、僕はあなたの前から消えましょう。
一生養っていくつもりではありますが、行くところがあるのなら何時でも出て行ってもらって構いません。」

「ちょ、ちょっと待て!」


どうして勝手に俺が一樹を嫌っている、ということで話が進んでるんだ?


「何か、ご不満な点でもありましたでしょうか?」

「ご不満も何も、俺の意思はどこに行った?」


一樹は、何を言っているのか分からないとでも言いたげな表情を浮かべている。
俺だって何を先に言えばいいのか迷ってるんだ。


「だから、あなたの意思を尊重して、ここで何をしてもらっても構わないと……。」

「じゃあ俺の願いは何でも聞いてくれるんだな?」


立ち上がって一樹と目線を合わせる。
ほんの少し背の高いその男は、苦しそうに顔を歪めて『はい』と答えた。


「何でも、お聞きしますよ。」

「俺の願いは、ひとつだけだよ。」


何でも聞いてくれるんだろ?
俺は何を願ってもいいんだろ?

初恋を知って、失恋を知って。
でも、その失恋が真実じゃなかったなら。



……叶えたいと思うのは、間違ってないだろ?





「一生お前の傍に、いたい。」










一樹の表情が喜びに変わったのは、それから数秒後のことだった。













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時代的には明治?
女将さんはハルヒ、の、はず。









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