Lilium
花吐き病、という奇病がある。正式な名称は「嘔吐中枢花被性疾患」というが、いまいち覚えにくい病名なので通称で呼ばれることの方が多い。
昔から流行と潜伏を繰り返している病気らしいが、昨今では流行傾向である。感染経路は感染者が吐いた花に触れること。ただそれだけ。その場で発症することはほとんどない。
発症の条件は「片想いをこじらせること」それを聞いても特に興味は湧かなかった。だって俺の周りには誰も発症したやつなんていなかったし、そもそも片想いをこじらせるという意味さえ分からなかったんだ。
つい最近までは。
俺が花吐き病に感染したのは小学生の頃。毎年遊びに行く親戚の家にいた従妹の姉さんが吐いた花に触れたから。部屋の片隅に蹲って美しい花々を吐き出す姿は異様に美しく、下に落ちる花までもが綺麗だった。
触れた花の名を俺は未だに知らないけれど、花びらの多い、桃色の大きな花だった。両手で掬い上げたのを見た姉さんは慌てて俺の手の中からそれを奪ったけれど、もう遅かっただろう。
どんな病気なのか、どうなったら発症するのか、全て教えてもらった。
花吐き病が完治するのは、唯一、片想いの相手と両想いになること。両想いになって、白銀の百合を吐き出したらそれが最後になるのだ。
その姉さんが花を吐くほどに恋い焦がれた相手と両想いになって、最後に吐いた白銀の百合は今も俺の手元にある。彼女は完治してしまったけれど、俺はきっと一生花を吐き続けるんだろう。
叶うことのない片想いは、俺の吐き気を増幅させるだけ。
「う、うぇえええっ」
今日もトイレに駆け込んでぼろぼろと花を吐く。吐いた花々は全てが大輪で美しく、名前も知らないものばかり。
「……また処理に困る大きさだな」
両手いっぱいに広がる花たちは決してトイレに流せるような大きさではなく確実に詰まってしまうサイズで。
だから俺はポケットの中に突っ込んである大きめの黒いビニール袋を出して花を次々に放り込んできゅっと口を縛った。あとは焼却炉に持って行くだけだ。この学校内で焼却してるわけではないけれど、あの場所に集まったゴミの中に紛れ込ませたら誰の目に触れることもなく焼却場行きだからな。
「はぁ、授業…行くか」
俺が花を初めて吐いたのは夏休み。あの繰り返した夏の日のことだ。焼けるように暑い日差しを浴びながら帰った、ループを抜け出したと確信した日のこと。家に帰って明日集まるSOS団の面々のことを考えながらふと思い出した言葉。
天体観測をした日、古泉が言った言葉。あいらぶゆーとハルヒに言えばループを抜け出せるかも、だって?そんなことは全然全くこれっぽっちもなかったじゃないか。その言葉を言いたかったのは、古泉なんじゃないか?そう思ったら急に胸の奥が苦しくなって、ぎゅうぎゅうと締め付けられるような苦しさに胸焼けまでして。気付いたら、口から花が溢れ出した。
初めて吐いた花は、青い薔薇だった。
花吐き病が発症したのだと理解したと同時に、自分の恋心にも気付くなんて、とんだ皮肉だ。もしかしたら繰り返した夏の中で、俺は何度も花を吐いたのかも知れない。今となっては分からないことだけれど。
古泉に告白をした女の子の話を聞いて、トイレに駆け込んで花を吐くなんて最近ではいつものことで。最初菊の花をぼろぼろと吐き出したときは処理に困ったものだ。
あいつのせいで苦しい思いをしていることが悔しくて、吐いた花でブーケでも作って差し出してやろうかとさえ思えたけれど、さすがにそれはしなかった。
ゴミ袋に詰めた花を捨て、中庭の方に向かって歩いていると、大きな木の下に人がいるのが見えた。
冬近い、暖かく柔らかな日差しが木々の隙間から零れ、二人に影と光を落とす。片方が女の子で、片方が古泉だった。
告白しているんだって、すぐに分かった。古泉は困ったような顔をしていたし、断るんだろうなってことも知っている。けれどその理由はいつも「僕には好きな方がいるので」なんだ。
あいつから好かれている存在が羨ましい、疎ましい。こんな感情持ちたくなかった、気付きたくなかった。
古泉に告白できる女の子さえ羨ましかった。同性だって時点で片想いが実ることなんて有り得なくて、それが余計に俺を苦しめる。
ぐっと吐き気をこらえて俺は廊下を走った。トイレには間に合わなくて旧校舎へ。思わず駆け込んだのは文芸部室。開いてないと思った扉は何故か開いていて、転がるように飛び込み、その場で思いっきり花を吐き出した。
「あーあ、嫌になっちまう」
床に広がった赤い花は可愛らしい形をしている。乾いた笑いが込み上げてきて、泣きそうになった。
さて処理するかと床に座り込んだまま袋を取り出したところで部室の扉が開く。慌てて飛び込んだから、鍵を閉めていなかったのだ。
ひやりと背筋を伝う嫌な汗を感じながら、まるで油を差し損ねた機械のようにぎこちなく振り返る。
「…キョン、あんた」
そこにいたのは涼宮ハルヒ、その人であった。
さて古泉じゃなかったことに安堵すればいいのか誰かに見つかってしまったことに恐怖すればいいのか迷うところだね。
ハルヒに見つかったからには誤魔化すことなど出来ないし、こいつなら他言することもないだろう。
「その花、触るなよ。お前まで感染するからな」
開いたばかりの袋に花を詰め込む。
「あんた、花吐きだったのね」
「小学生時分にな、感染したんだ。発症したのはつい最近だけどな」
ふうん、とハルヒはつまらなそうに花を一瞥する。そして俺の目を真っ直ぐに見て、ふっと笑った。
「相手、古泉くんでしょう?」
「……っ!?」
がさりと袋が落ちて、せっかく拾い集めた花々はばらばらと床に散らばる。俺があまりにも驚いているからか、ハルヒは楽しそうに笑っている。にこにこ、なんて可愛らしいものではない。にやにやと人をからかうような目をしていた。
「あんたを見てれば分かるわよ。花を吐くほどに好きだなんて思ってなかったけどね」
「るっせ…」
「どうせ男同士だからとか変なこと考えてるんでしょう?そんなのやめなさい、どーんとぶつかってきなさいよ」
そんな簡単に言ってくれるなよ、と思うけれどハルヒはそういうやつだ。うん、知ってる。
「そんなん、無理だ」
ぼろりと口から新しい花が零れる。
淡い色をした、大輪の花がほろりほろりと転がるように。
「綺麗ね」
「なっ!?」
ハルヒはその場にしゃがみ込み、俺の吐き出した花を掬い上げた。そんなことをしたら感染してしまうことぐらい知っているはずなのに。驚きに声も出せない俺に向かって、ハルヒは花よりも綺麗に微笑んだ。
「いいじゃない、花吐き病。本当の恋を知ったら吐くんでしょう?そんなに分かりやすい気持ちの表現はないわ」
「……」
そんなに割り切って考えられるのなら、どんなにいいだろう。俺もハルヒのように考えられたなら、こんなに苦しくはなかったんだろうか。
「あんたはそのままここにいて、吐けるだけの花でも吐いてなさい。この部室をいっぱいにするぐらいのね」
「は?」
「あたしは古泉くんを呼んでくるわ。いい?ちゃんと言うのよ?その花が誰に向けられた想いなのか。ちゃんと、ね」
「ちょ、ハルヒ……!」
一輪だけ花を持ってハルヒは扉の向こうに消えた。
ハルヒが言うんだ、間違いなく数分後に部室に古泉が来る。その前に花を片付けて立ち去る?後でハルヒに怒られるだなんて、知ったことか。
胸が苦しくなって、また花を吐き出す。
ああどうしよう止まらない。ぼろぼろと吐き出される花は美しい色をしていて、こんなに苦しい想いとは裏腹。こんなに綺麗な想いなんかじゃないのに、どうして。
こんこん、と扉のノックされる音。
「入って、くるな…っ!」
呻くように叫び、また花を零す。その苦しそうな声に心配でもしてくれたのだろうか、古泉は俺の言葉も聞かずに扉を開けた。
「……これ、は」
「だから入るなって、言っただろ」
また吐き気を催している俺に近付こうとする古泉を睨みつけて、手で制止する。
「来るな。お前には好きな奴がいるんだろ?触ったら、お前までこれを吐くことになるんだぞ」
「そんなの、構いません」
上靴で花を踏み、吐いた花で溢れ返った床に膝をついて古泉は俺の頬を両手でがっしりと掴む。
ぐっと吐き気がするのを堪えていたら急に古泉の顔が近付いて、俺の口の中にあった花を奪い去って行った。
「おいしいものでは、ないですね」
「そんなの、当たり前、だろ」
俺から奪われていったのは白から淡いピンクへと色を変える牡丹。古泉はそれを床に吐き出し、にっこりと笑う。
「あなたが花を吐くほどに想っている人を、僕は心底羨ましいと思う。恨めしいとさえ思う」
「……」
「僕がもし感染したとして、花を吐くのはあなたを想ったときだけだ」
俺は古泉に頬を包まれたまま、ゆるりと首を振った。
「意味が、分からない……もっと、分かりやすく」
「僕はあなたが、好きです」
じわりと胸の奥に熱さが広がって、口からぼろりと花が落ちた。ああこれが最後のひとつ。俺の吐く、最後の花。
「俺はお前のために、どれだけ花を吐いたと思ってるんだ」
白銀の百合は、俺の部屋で枯れることもなくずっと咲き続けている。ずっとそれを眺めていたけれど、自分が吐いた百合の方がずっと綺麗に見えた。
「……そんなに、苦しい思いをさせていたんですね。ごめんなさい、大好きです」
花に埋もれて、俺はそっと目を瞑った。もう花は、吐かない。
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キョンに花を吐かせたかっただけのお話。
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